アニメの歴史

アニメの歴史についてのブログです。

世界的レベルの日本アニメ

日本の漫画やアニメは、日本が世界に輸出することのできる文化の中でも最も大きなウエイトを占めているもので、日本のアニメはアメリカでは“ジャパニメーション”と呼ばれて長い間親しまれてきました。

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この言葉は“Japan+animation ”が単純に1つになって“Japanimation”となったもので1970年~1990年代にアメリカのアニメ業界でよく使われていたものです。

しかしこの言葉を“Japanimation”を“Jap + animation”と解釈する人もいて、かつてアメリカ人が日本人のことを軽蔑の意味を込めて“Jap”と呼んでいたのと重なり、「日本のアニメのことを稚拙でレベルの低いものであると軽蔑している」と言う人もいます。

けれどもアメリカ国内で放映されたものは独自に改編している個所が多くあるとはいうものの、他国の作品を輸入してまで使おうとする気持ちがあるということは、軽蔑という感覚とはやや異なっているような気もします。

現在までの道のり

また、改編された日本アニメのアメリカ版が世界各国に再輸出されて好評を得たことにより、間接的ではありますが、日本アニメが世界中から注目されるようになり、後にアメリカ以外の国にアニメを輸出する際の足がかりになったのも確かです。

実際に現在、漫画の販売部数は毎月4500万部を超え、アニメも世界で放映されているものの60%は日本で制作されたものなのだそうです。

忘れてはならない「天才漫画家」の存在

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ここまで日本の漫画やアニメが発展したのは、“手塚治虫”の存在があったからだと言われています。
1942年になるとアニメの手法は戦時下の日本にも輸出され、当時の軍部は勇敢な海兵を主人公にした長編アニメーション映画を漫画家に制作させて国民の士気を高めようとしたようです。

このことが当時16歳だった“手塚治虫”にも大きな影響を与え、日本初のテレビ放映アニメ『鉄腕アトム』などの大作を次から次へと創りだす起爆剤となったのではないでしょうか。

ちなみに、“手塚治虫”は漫画家としての才能だけでなく医者の資格ももっていたわけですが、『鉄腕アトム』に描かれていた未来社会が次々と現実のものとなって行ったのを見ても、彼の才能の奥深さに驚かされます。