アニメの歴史

アニメの歴史についてのブログです。

日本アニメを育んできた豊かな土壌

1960年になるとカンヌ映画祭からアニメーション部門が独立し、フランスのアヌシー市で毎年6月に世界最大規模の国際的なアニメ映画祭が催されるようになりましたが、日本のアニメの中からは1993年の『紅の豚』、1995年の『平成狸合戦ぽんぽこ』、2008年の『つみきのいえ』が受賞しています。

そして2000年に入ると、日本のアニメのレベルは世界的にもトップクラスであるという高い評価が業界のあいだでは定着し、海外で新しいテレビ番組や映画が制作される際にも、日本のアニメが原作として選ばれることが多くなってきました。

日本のアニメはこのように世界的に認められるようになりましたが、それは日本文化の基盤に日本絵画の典型でもある絵巻物や浮世絵、錦絵、写し絵などといったかつての芸術家たちが生み出した優れた作品があったからなのです。

12~13世紀ごろに描かれた『鳥獣戯画』や江戸時代の浮世絵などが日本アニメ作家たちに与えた影響は大きかったようで、多くの漫画家たちがこれらの作品から独自の技法を学びとったことから“日本アニメのルーツ”であるとも言われています。

ところで話は変わって、皆さんは“日本で最もアニメと関連の深い都市”はどこかご存じでしょうか。

それは東京都の“練馬区”で、ここは劇場長編アニメ、世界初のテレビアニメシリーズの発祥地としても有名で、ここで日本初の『白蛇伝』というアニメや、“手塚治虫”の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』が制作され1963年には世界初の本格的テレビアニメシリーズとして放映されました。

さらに1965年には日本初の本格的フルカラーのテレビアニメシリーズとして『ジャングル大帝』も放映され、それに続いて『一休さん』や『銀河鉄道999』、『北斗の拳』、『聖闘士星矢』、『Dr.スランプアラレちゃん』、『ドラゴンボール』など超人気の作品はすべてこの地で生まれています。

そして今では巨匠と呼ばれるまでの大人物となった“宮崎駿”や“高畑勲”、“細田守”などのアニメーターはすべてここから巣立っています。

今でもこの地区には90社を超えるアニメ関連企業が集まり、日本最大のアニメ都市としての未来に多くの期待が集まっています。

 

漫画とアニメの天才“手塚治虫”

“ストーリー漫画のパイオニア”であり、“テレビアニメーションの創始者”でもある“手塚治虫”は
日本が世界に誇る“漫画とアニメの天才”で、生涯に漫画作品約700タイトル(原稿にすれば約15万枚)、アニメ作品約70タイトルという膨大な量の作品を世に送り出しました。

小学校時代の彼は“田河水泡”の『のらくろ』を愛読し、自らは『ピンピン生ちゃん』という彼にとっては最初の漫画を描き上げて周囲を驚かせたり、長編漫画『支那の夜』という漫画を描いて先生たちを含めて学校中の話題になったり、ノートにパラパラ漫画を作って見せたりしていました。

小学生くらいの子供たちというのは、誰かが新しいことを始めて周りからて面白がられると、何人かが真似をし始め、いつのまにか学校中にその遊びが広まっていたりすることはよくありますが、手塚治虫の描く漫画はあまりにもレベルが高すぎて誰もその聖域を侵そうとするものはいなかったためにそれらの遊びは彼の専売特許であったようです。

軍人の父親は躾などに関してはかなり厳しかったようですが家庭は裕福で、お屋敷のような家の中は、漫画本や小説、映画など文化的なものにあふれていて彼の才能を開花させるには十分すぎるくらいの環境であったと言われています。

11歳の頃には昆虫採集に夢中になり、14歳になると自分で描いた昆虫図鑑『甲虫図譜』という絵本を作っていますが、彼の虫に対する興味や関心はその後もどんどん膨らんで行き、中学生でありながら“六陵昆虫研究会”を結成して『昆虫の世界』という本を発行したほどです。

そこで知った“オサムシ”という虫にちなんで、ペンネームを“治虫”にしたというエピソードが残っています。

17歳になると彼の通っていた学校にも戦争の影が忍び寄り、彼も他の生徒と同じように勤労動員として働かされることになるのですが、その間も自伝漫画『紙の砦』を描くなど、このような苦難の時代にも漫画に対する情熱を失うことはありませんでした。

そうこうするうちに戦争も終結し、日本に明るい兆しが見え始めるのと時を同じくして彼の黄金時代が到来することになります。

 

世界的レベルの日本アニメ

日本の漫画やアニメは、日本が世界に輸出することのできる文化の中でも最も大きなウエイトを占めているもので、日本のアニメはアメリカでは“ジャパニメーション”と呼ばれて長い間親しまれてきました。

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この言葉は“Japan+animation ”が単純に1つになって“Japanimation”となったもので1970年~1990年代にアメリカのアニメ業界でよく使われていたものです。

しかしこの言葉を“Japanimation”を“Jap + animation”と解釈する人もいて、かつてアメリカ人が日本人のことを軽蔑の意味を込めて“Jap”と呼んでいたのと重なり、「日本のアニメのことを稚拙でレベルの低いものであると軽蔑している」と言う人もいます。

けれどもアメリカ国内で放映されたものは独自に改編している個所が多くあるとはいうものの、他国の作品を輸入してまで使おうとする気持ちがあるということは、軽蔑という感覚とはやや異なっているような気もします。

現在までの道のり

また、改編された日本アニメのアメリカ版が世界各国に再輸出されて好評を得たことにより、間接的ではありますが、日本アニメが世界中から注目されるようになり、後にアメリカ以外の国にアニメを輸出する際の足がかりになったのも確かです。

実際に現在、漫画の販売部数は毎月4500万部を超え、アニメも世界で放映されているものの60%は日本で制作されたものなのだそうです。

忘れてはならない「天才漫画家」の存在

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ここまで日本の漫画やアニメが発展したのは、“手塚治虫”の存在があったからだと言われています。
1942年になるとアニメの手法は戦時下の日本にも輸出され、当時の軍部は勇敢な海兵を主人公にした長編アニメーション映画を漫画家に制作させて国民の士気を高めようとしたようです。

このことが当時16歳だった“手塚治虫”にも大きな影響を与え、日本初のテレビ放映アニメ『鉄腕アトム』などの大作を次から次へと創りだす起爆剤となったのではないでしょうか。

ちなみに、“手塚治虫”は漫画家としての才能だけでなく医者の資格ももっていたわけですが、『鉄腕アトム』に描かれていた未来社会が次々と現実のものとなって行ったのを見ても、彼の才能の奥深さに驚かされます。

 

 

アニメの起源

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アニメーションの起源となるアイテムは、1834年に発明された“ゾートロープ”、別名“回転のぞき絵”だと言われています。

これは簡単な構造で、スリットの入った円柱型の黒い筒状の枠の内側に12コマ程度の連像した絵を描いた紙が取り付けられていて、回転させてスリットから反対側の内側の面を見ると絵が動いて見えるというもので、スリットを通して見ることによって絵がぶれないことをうまく利用しています。

そして、中の絵を変えることによってさまざまなアニメーションを楽しむことができるようになっています。

また1892年には1人用の“フェナキストスコープ”というアニメ機器も作られています。

これはアニメーションの1コマ1コマが円板に順に描かれていて、“ゾートロープ”と同じようにコマとコマの間にはスリットが入っているもので、これをもって鏡の前に行き円板を回転させながらスリットから鏡に映った絵を眺めると、絵がきれいに動いて見えます。

その他のアニメーションの起源

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アニメーションの起源は、他にもあります。

それは“パラパラ漫画”と言われるもので、子供のころにノートや教科書の端に絵を描いてめくって遊んだことのある人は多いのではないかと思われます。

動作を少しずつずらして描いた絵や、少しずつ変化させて撮った写真を重ねて端を綴じ、それを手でパラパラと素早くめくると見ている人の目に残像現象が起こってあたかも絵が動いているように見えるものです。

これらは古い道具ですが、その原理は現在のアニメの中にも脈々と生き続けており、今でも子供たちの夏休みの工作に取り上げられることが多いようです。

その後の発展

大勢の観客を対象に上映されたアニメは、1902年にフランスの作家が船が港に戻るシーンに切り絵を使ったアニメーショントリックを使ったのが最初だと言われています。

そして1914年になるとセル画を用いた本格的なアニメの手法が開発され、日本でも明治40年代に切り絵によるアニメが創られ、大正時代に入ると本格的国産アニメの第1号が“下川凹天”という作家によって創られたと言われています。

 

 

アニメについて

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まず少しずつ変化させて描いた平面的な絵や立体的な人形を1コマごとに撮影して、これを連続映写することによって実際に動いているように見せる技法を“アニメーション”と言います。

今ではテレビやビデオ、映画などの制作にはなくてはならないものとなっています。

そして一般には “アニメーション”という言葉を略して“アニメ”と呼ばれていますが、厳密に言えば両者には違いがあるようです。

“アニメーション”というのは、背景に関しても川がずっと流れ続けていたり風が吹いていれば木々の小枝や葉がずっと揺れていたりと、動くものはすべて動かす“フルアニメーション”を指します。

“アニメ”というのは別名“リミテッドアニメ”とも呼ばれ、登場人物が動く時には背景の動きは止まっています。

アニメの種類

では次に、アニメの種類にはどのようなものがあるのか見てみることにしましょう。

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セルアニメ

まず1つ目、アニメ制作において1時代を築いたとも言われる“セルアニメ”とは、最初に透明なセルロイドに輪郭を描いた後で裏から不透明な絵の具で彩色してセル画を作製する手法です。

1990年代に入ってCGを用いたデジタルアニメに移行するまではほとんどこの方法が用いられていました。

粘土アニメ

2つ目の“粘土アニメ”は、長い年月を経てもいまだに子供に大人気の『クレヨンしんちゃん』のオープニングにも使われている手法です。

粘土を少しずつ変形させながら1コマずつ撮影して動きを作るために手軽なうえ低予算でできることから一時ブームになっていましたが、最近ではあまり見られなくなりました。

人形アニメ

3つ目の“人形アニメ”と言えば、かつて子供たちを虜にした『キングコング』や『ピングー』などがあります。

その細かな動きは見る人に「本当に生きているのではないか!」と思わせるほどで、かなりの手間をかけてパーツの取り替えを行いながら1コマ1コマを作製しています。

紙アニメ

4つ目の“紙アニメ”と言えば親しみやすさと温かさで多くのファンを持つ『スノーマン』が有名です。

これは1コマ1コマが紙に色鉛筆で丹念に描かれたもので、作者を入れても数人というわずかなスタッフで制作されたものなのだそうです。

砂アニメ

最後にもう1つ“砂アニメ”というのがありますが、これはばらまいた砂の上に指を使って1コマ1コマを描いていくものです。

かなりのテクニックを必要とするために日本でも数人しかできる人がいないと言われています。